ああ、小菅村でのんびり暮らそう

集落に移住して、古民家ホテルを運営する夫婦の話

使う言葉を変えれば、性格なんてあっという間に変わる。

ふと、人は言葉に操られる生き物なんじゃないかと思う時がある。


ぼくは群馬県で生まれ、高校を卒業するまでは県内で過ごしました。
田舎町で内向的に育っていたせいか、いつしか自分を変えたいと強く思うようになり
その後、大学入学を機に大阪へ引っ越すことになります。
その際に習得したのが

 


関西弁



群馬県は方言が強くないので、ぼくは標準語で生活していました。
だからこそ漫画の中のあの関西弁のキャラクターや、テレビの向こう側のあのお笑いタレントの話す関西弁に
猛烈に魅力を感じていました。

他にも理由はあるけど、"言葉"は大阪へ住み移ったひとつの大きな目的でした。



では関西弁を話せるようになると、どのような変化が起きるのか。
大きく分けて二つあります。



一つ目は、会話がラフになります。



そもそも日本語って、相手を慮る要素が多くある。
尊敬語、丁寧語、謙譲語、侘び寂び、空気を読む…
状況に応じて使い分けようとすると、喉まで出かかって「あれ?これ合ってるっけ?」となる。
何も、関西弁にはそうした要素がないわけではありませんが、感覚的にずっと楽でした。ボケ・ツッコミとかはあんまり年齢関係ないですしね。


二つ目に、感情を伝えやすくなる。



関西弁はイントネーションが特徴的です。日本人はシャイで、感情表現が苦手なんて揶揄されることも多いですが、それは日本=東京になっているから。少なくともぼくにとって、関西の人は感情表現のお手本とも言える存在です。

「これすごくない?」

より

「これめっちゃヤバない!?」

の方が圧倒的に響きます。


大げさではなく、ぼくは関西弁を使えるようになって(もちろんそれだけが理由ではないけど)社交的になり、コミュニケーション能力が飛躍しました。

 

「言葉に感情をのせるだけで、こんなに気持ちよく話せるんだ」

と感動したのを覚えてます。





使う言葉で、人は変わる。


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あれから数年、今はオーストラリアで生活しています。
一年半も住むと、さすがに英語も使えるようになります。

英語はまさにイントネーションの言語。
抑揚なくフラットに表現したら、そもそも聞きとってすらもらえない。
逆に言えば、嫌でも言葉に感情がのる。
敬語もないから、スッと言葉が出る。



先日、電車で年配の方に席を譲ろうとしたら、何も考えずに言葉が出ていた。

その時に、標準語だとちょっと恥ずかしかったり、適切な言葉を探してモジモジしていた自分を思い出しました。




何も言語だけが理由だとは思いません。オーストラリアの環境、周りに日本人が少ないことなど、色んな要因があるでしょう。


ただ一つ言えるのは、使う言葉が変われば、身の振る舞いも変わってくる。それはちょうど、もう一人の自分が引き出しの中に現れるようなもの。つまり、性格が変わったといっても過言ではないのです。



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自分を変えたければ、使える言葉の引き出しを増やせばいい。もっと言えば、海外で生活してみればいい。
性格なんて簡単に変わる。


標準語から関西弁へ、そして英語を習得することで、ぼくが変わったように。




自分はこのままでいいのかな?という考えが少しでもあるのならば

それこそが原動力。

この記事が、何かを変えたい誰かの参考になりますように。