ああ、小菅村でのんびり暮らそう

集落に移住して、古民家ホテルを運営する夫婦の話

私「将来リトリート施設をつくりたい」父「ふざけるな」

約2年間のオーストラリア生活が幕を閉じた。久しぶりの日本は、じめっとしていて、否が応でも「あぁ、帰ってきたんだな」という気持ちにさせた。


昨晩、父親と二人で夕食をとる機会があったので、思い切って胸の内を明かすことにした。何でホテルを辞めて海外に出たのか、オーストラリアで何を学んだのか、結婚式を開きたいこと、これからどんなことをしていきたいのか。

父親との会話なのに"思い切って"という表現は不自然に感じる人もいるかもしれない。しかし我が家での私の存在は宇宙人のようなもので、やることなすこと理解してもらえない。もはや、その類の話は何となくタブーな空気さえ流れているので、話すのには勇気がいるのだ。

 

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結婚式をやりたい

開口一番、父はこう言った。

「就職していない人間は結婚式をする資格はない。やるなら勝手にしろ。おれは出席はしない。無職の息子の父親なんて、相手のご両親に合わせる顔がない。第一、そんなことしたらご先祖様から怒られる。そんなんでよくお嫁さんを幸せにするなんて言えるな。お父さんが若い時だってそうやってお袋から言われて、その通りにやったんだ。」


これはやばいなと思った。

ジャブのつもりで放った結婚式の話から、いきなりヒートアップしている。

私たちとしては、結婚式を開くことで「ぼくたちは元気にやっています。オーストラリアではこんな経験をしました。これからはこんなことをやっていきます。とにかく、ひとみさんを幸せにします。」

みたいなことを宣言して、安心してもらいたかった。

あとは恥ずかしいけど、両親への手紙みたいなものを書いて、普段は決して言えない感謝の気持ちを述べようと思っていた。が、もうなんだかそれどころではなくなってしまった。

 

仕事はどうする

仕事の話になった。引き続きイライラしている父は、ただでさえ大きな目をさらに見開いてこう言った。

「とにかく正社員になって、安定した給料をもらって、年金や社会保険を払えるようになることが第一だ。お前はこの2年間オーストラリアで遊び呆けていたんだから、その分のツケが今から回ってくるからな。それでも今ならまだギリギリ間に合うかもしれない。何でもいいから給料のいい会社に正社員として入社しなさい。お父さんなんか辛くて苦しい会社を辞めずにここまでやってきたんだ。お前の同級生だってきっとみんな同じだ。辛くて出勤するのが嫌で嫌で仕方がなくても、何とかやってる。耐えるとかじゃなくて、それが当たり前。当たり前!当たり前!!当たり前!!!それを辛いと思うようなら、社会人としてもうやっていけない。」


かなりやばいなと思った。自分が辛い会社員を過ごしたんだから、全国民が辛い経験をしていると信じ切っているようだった。我慢することが努力することだと考えているようだった。

 

何を言っても無駄かもしれない。もう完全にイメージの世界で話している。経験上、このタイプの人とは対話ができない。

 

けれども、相手は父親だ。避けては通れない。

 

そうだ、夢を語ろう。未来を語ろう。

私は将来、妻とやりたいと思っていることを、勇気をもって打ち明けた。

 

リトリート施設をやりたい

「はい?夢をみるのも勝手だが、現実をみなさい。その施設を建てるのにいくらかかる。ちゃんと考えているのか。しっかりした会社で正社員にならないとお金を借りることもできないぞ。お父さんは間違っても貸さないからな。それに、もう30歳になるんだから後がない。お父さんなんて、有給も使えず、ボーナスもカットされて、鬱っぽくなりながら、それでもここまでやってきたんだぞ。それなのにお前はいつまでも夢ばかりみて。いいか、世の中金だからな。何だかんだ言って最後は金だ。金だ金だ金だ金だ…」


この辺りで私はもう完全に諦めた。


父の話をまとめるとこんな感じだ。

「正社員になって、国にお金を納めて、嫌でも何でも仕事をしなさい。会社に行くのが嫌でも、鬱っぽくなっても、みんな同じなんだから、そうしなさい。」


話の途中、生きるとはなんだろうという問いが芽生えた。

私はそもそも、そんな思いをしてまで生きたいとは思わない。この世に生を受け、美しい妻に出会い、今とても幸せだ。もうこれ以上は何もいらない。あとは地球と友達を大切にしながら、死ぬまでゆっくり過ごしていきたい。願わくば、そんな場所(リトリート施設)をどこかにつくりたい。


でも、それは叶わぬ夢だという。

そんなことより、安定したお金を稼いで、辛いことを我慢して暮らせという。誰もが通る道だという。

 

本当は、オーストラリアで永住したいからもう一度オーストラリアに行こうと思う、ということを伝えるのが今回の趣旨だったのだが、これ以上続けると父は高血圧で倒れてしまうかもしれないと思い諦めた。


家族とは何か。ある人はいう。

「家族とは切っても切れないものだ」と。

だとしたら、何とも辛いなと思う。

どうしようもなく近い存在で、第一関門のように目の前に立ちふさがり、何をするにも許可が必要。

私が将来子どもを授かったら、自由に生きて欲しいと思う。好きに生きなさい、けれど、辛かったらいつでも帰ってきなさい。そんな感じがいいなと思った。

 

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類は友を呼ぶというが、私の周りの大好きな人たちには、何だかハッピーでヒッピーな雰囲気の人が多い。だから忘れてしまっていた。

これが現実、これが日本。


誤解はして欲しくないので言うと、私は両親が好きだ。こんな息子をずっと育ててくれて、いつだって真剣に向き合ってくれる。今回、父親に言われたことも、納得できる部分があったのも事実だ。


同時に、強く決意した。

 

私は、妻とリトリート施設をやりたい。父親にも泊まってもらって、何かを感じてもらいたい。もう結果で示す以外の方法も見当たらない。

そして、こんなにストレスにまみれた現代社会で生活する日本人にとって必要な場所だと改めて実感した。

 

※リトリート施設とは

直訳すると、退却・避難・隠れ家など。そこから派生して、日常生活から離れることで自分と向き合うことができる場所のこと。

 

挑戦は続く。